エンツォの『ルサンチマンノート』 第1回

  『レビューと鮒とスリーコード』


魚釣りは鮒に始まり、鮒に終わる。AVレビューは有名女優に始まり、有名女優に終わる。これは、基本から基本へ、つまり基本を大切にしなさい、という意味ではない。

私がDNN.comのレビューページへAVの評価を投稿し始め、もう50年が経とうとしている。私は18歳の誕生日を迎えた日から今日まで、週に二、三のペースでAVのレビューを投稿してきた。

初めてレビューしたAVは、当時の人気女優Yがメインで出演しているコスプレ物の作品だった。Yは深夜のバラエティー番組に出演したり、時には一般青年誌の表紙を飾ったりとメディア露出が多く、話題性に富んでおり、私はAVと関連づけて容易にレビューを書き上げることができた。

Yのレビューを書くことでレビューを書く動機となる「使命感」を掴んだわたしは、それからというもの、AVを買い、又はレンタルショップでAVを借りて鑑賞を終える度に、DNN.comにレビューを投稿し続けた。

時には、普段の自分だったら選ばないようなジャンルのAVにも挑戦した。制作側のことを思うと失礼だとは思ったが、レビューを書くためにAVを選んだこともあった。

 30作を越えたあたりで、私はレビューの上達を実感し始めた。100作を越えた時、私のレビューは一つの作品となった。500作を越えた頃になって、私は、作品自体が持っている「速度」に対し、遅れてやってくるレビューの持つ様々なニュアンスのタイムラグを緻密なレベルまでプログラミングし、自在に操れるようになっていた。

 そんなある日のことである。ネットのレビュー仲間から

「最高のレビューが書けた。是非読んで欲しい」

と連絡があった。私はこの時、既に60歳を迎え、レビュー総数も4000作品を越えていた。彼がレビューを書くのは久々のことだったので、私はウキウキしながら、彼のIDから最新のレビューを辿り、そのページを開いてみた。だが、そこには何もない空白だけがあった。「久々にレビューを書いたというので楽しみにしておりました」とメールを送っても、彼からの返信はない。つまり、彼はレビューが書けたという気分を「書いた」と言ったのだ。まるで、室町時代の武将細川成之が紀伊の景色はこんなにも美しかったと何も描かれていない白紙の画軸を広げ、何も描かない行為をこれ以上ない風景と意味させたように。

精神文化を極めた人間は、恐らくこんな気分が自然にやってくるのだろう。レビュアーはこれほどまでに精神的余韻に溢れた言葉の遊びができる人種なのである。私は物凄く感動し、そして、自分の中で確かにあった傲りを恥ずかしく思った。

 わたしは基本である有名女優の作品からレビューの投稿を始めた。やがてこのレビューが高じてジャンルに懲り、ありとあらゆるレビューを体験した。年を取るにつれ、自分はレビューを極めたと自負し始めたまたある日、若造にAVレビューの書き方を教えて欲しいとせがまれた。当然そのレビューの題材は有名女優の作品だ。わたしは若造に細々と説明し、若造がレビューを投稿し終えると大喜びした。そして、その瞬間、私の脳裏にそれまでの自分自身の全てが走馬燈のように流れ、そして、自分が求めていたのはレビューを書いた成果ではなく、こうして若造とレビューを楽しむための百半年と知った。

 レビューを書かないレビューこそ、最高のレビュー。レビュアーの精神文化ではこの達観した心を境地という。

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